早稲田大学高等学院・早稲田大学高等学院中学部|デジタルパンフレット
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I II HRONES YTISREVNUADESAWLOOHCS HG公民担当 後藤 潤平地理担当 佐々木 智章座標平面において直線を表す方程式は一般にax+by+c=0の形で表すことができます。与えられた直線上の点をいくつかとり、そのx座標とy座標の関係について観察することで、この方程式を導く、そのような書き方をしているテキストや教え方が多く見受けられます。ここでの観察する、推測する姿勢は、それはそれでとても大事なものです。しかし、果たしてこれは直線の方程式が先に述べた形になることを示したことになるのでしょうか。学院の数学では、厳密性を重要視しています。数学はその厳密性により、2000年以上前に正しいとされたものの多くが今なお正しいとされています。したがって、数学は一定の信頼性を獲得し、また普遍性を有することから、物理学や統計学、経済学、論理学など多くの学問分野において用いられ、日常の様々な場面でも利用されるようになりました。数学という学問は今も目まぐるしい勢いで発展しています。現在進行で多くの予想が解かれている一方で、数学における新たな問題・予想が生じています。このように数学は奥深くて魅力的な学問であり、そのことを学院数学科の教員は実感しています。また、私が図形や空間の性質について扱う「幾何学」と呼ばれる数学の分野を専門としているように、他の教員もそれぞれの専門があります。それが授業等でにじみでてきます。是非、学院においてそれを感じてみてください。数学の面白さと奥深さを感じられる場がここにはあります。言語的相対論にサピア=ウォーフの仮説という理論があります。この理論を簡単に説明すると、母語がその人の思考を決定、もしくは制限するという理論です。20年以上昔、早稲田大学の学部生であった、私の卒業論文のテーマでもあります。あれから、日米で教員生活を送り、私が英語の授業で大切にしたいのは、この仮説が提示する思考の限界をつくことです。自身の思考世界は、確かに母語に大きく影響を受けます。でも、その世界はスペクトラムであり、他の言語の思考や世界を理解できないわけではなく、少しずつ手を伸ばしていくことは可能です。よって、私は、授業の中で、英語を手段としてだけでなく、英語そのものに向き合う質問も投げかけます。どうして筆者はこの単語をここで使っているのか。どうしてこの表現なのか。この表現の背景には、どのような社会的、文化的前提があるのか。高校生には簡単にたどり着けない質問もあります。でも、それが少しでも彼らに刺さり、自身の思考世界の限界を広げていくきっかけになれればと思っています。テクノロジーのお陰で、簡単に国の壁を越えてオンラインで交流する機会が増えている昨今ですが、やはり、その国に行き、その国の風土を、人を肌で感じ、サピア=ウォーフの仮説の限界に挑戦し、他者理解、多文化理解へと結び付けていく土台を、是非本校で身につけてもらいたいと思っております。ヤマメは流れの中にありながら流されずに川上から流れる餌を食べて育ちます。ところがいつも流れに抗える強いヤマメから餌を食べてしまうのです。そこで弱いヤマメたちはどうするか。川を下るのです。川を下ったヤマメたちは、海まで辿り着きます。川の流れと同様に、潮の流れもまた多様です。ヤマメはそこに適応して成長します。成長したヤマメはもはやヤマメとは呼ばれず、サクラマスと呼ばれます。元の姿はそこにはなく、ずっと大きくたくましくなっています。まったく自然には畏敬の念を禁じ得ません。学院の精神性は、海にあると思います。十代後半は成長の時間です。その成長の場として、どのような場所を選ぶのか。川には川の、海には海の、生命と規範があります。少なくとも与えられる餌を食べ、食われるために育つような養殖管理施設を求めてはいないでしょう。人はみな何もできない赤ん坊の姿で生まれ、自分の身体が育つ前に、歩き、泳ぎ、自転車に乗るお手本を他者にみます。だから心のどこかに、誰もが「できない自分」を覚えています。しかし一茎の葦のように弱い存在でありながら、ずっと偉大なものに想いを向けられるということが、私たちの強みです。現実と久遠の理想の中間者として、自分はどうありたいのか。これがスタートです。時に気晴らしに時間を費やしながらも、熱く人生を語り、社会を論ずる学院生の姿は、自立に向かう青年の姿として、とても頼もしく映ります。個人の自由と社会秩序の両立は可能か。ここではそんな問いをもって、全身で学んでほしいと思います。きっと出会いがあるでしょう。「自分の地域には魅力は特にありません」学院生に身近な地域を紹介してもらう際によく聞く言葉です。本当にそうでしょうか。身近にあるものが当たり前すぎて、その価値に気づいてないだけではないでしょうか。当たり前のことを魅力として認識するには、地域を観察する力が重要になります。地理を担当している私は、教室でもそのような力を身に付けて欲しいと意識していますが、もちろん教室の中で完結するものではありません。外に出て、現地においてどれだけ広くものを見ることができるか、「あれは何?」「どうしてそこにある?」と思考したかが重要になります。高等学院では、国内外を問わずさまざまな地域へのフィールドワークの機会がありますし、人によっては卒論の調査で現地へ行くこと、自由な時間を利用して気の向くまま遠くに出かけることもあるでしょう。こうした機会を利用して地域を観察する力を身につけて欲しいのです。最近、各地で「地域づくり」「地域おこし」という言葉がよく聞かれるようになりました。そこでは、もともと身近にあった、あまり注目されてこなかった地域固有のものが活用されています。地域を観察する力は、地域の課題を解決する力にも直結します。皆さんの世代が持つその目は、新たな価値の発見や創造にもつながります。高等学院の環境で皆さんとともに見る新しい世界を楽しみにしています。数学担当 野中 純英語担当 菓子 忍12外国語学習を通して:自らの限界をつく個人の自由と社会秩序は両立可能か 自立編新たな価値の発見と創造へMESSAGES FROM TEACHERS 教員からのメッセージ学問の面白さ・奥深さを感じる経験を学院で

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